Educational Buffet!

学びをえらぶ 自分で決める 環境をデザインする 家庭ベースの教育ブッフェ

起立性調節障害を通して、親子関係を見直した話②診断

私は子どもの頃、「学校に馴染めない自分」に劣等感を持っていました。

「学校が苦手」と思うことさえなくて、「自分がダメなんだ」と思ってた。

 

educational-buffet.hatenablog.com

そんな私が「学校は選択肢の一つ」という認識を持つのは簡単なことではありませんでした。子ども達の不調をきっかけに、試行錯誤して悩んで、悩みの根本を見つめた末に出した結論です。

そのきっかけになった出来事について、前回記事の続きです。

 

 

混乱の一週間

 

2年前、突然起き上がれなくなった長女。

本当に症状が重くて一日中動けず、お風呂で突然動けなくなることもありました。体が大きいだけに、看護も大変です(+_+)

今まで通りの生活を送らせようと思うから、余計に大変だったんだけど。

 

お風呂から担ぎ出し、下の子ども達に手伝ってもらいながら体をふいて服を着せる。

髪を乾かすのも一苦労です。

 

でもこの時は、すぐ治ると思ってたので

ひーこら言いながら面倒を見ていました。

 

 

学校を休まないように、まずは頑張れ


やっぱり一番の悩みは学校に行けないこと。勉強に遅れてしまうし、長く休むと戻りにくくなってしまう。

その時の私はとにかく焦っていて、少しでも登校させようと、

最初の数日は病名がわからなかったのもあって、長女を無理やり担ぎ出したりもしました。

 

今思えば、少しでも学校に行こうとする姿を見て、私が安心したかったのだと思います。

 

「そうは言っても、行ってみれば大丈夫かもよ?」

「まずは行ってから考えよう」

 

無理させることばかり言っていたと思います。

 

 

誰のために頑張らせるの?


「学校に行けない」という 長女の言葉を私は全く信頼していなかったし、その自覚ももっていませんでした。

子どもを信頼の対象として見ていない事そのものにも、疑問を持っていませんでした。

 

結局、できる限りの努力をする姿を見て、自分の中の不安や苛立ちを緩和させたかったんだと思います。

そんなことさせてたら、死ぬまで頑張る人間になっちゃうのにね。死んだらいかんよね。

 

長女の様子はというと、反応する元気もなくて、反論する元気もなくて、ただぐったりしていました。

本当は本人が一番戸惑ってたんだよね。

 

 

診断に向けて


小児科で血液検査などしても問題が出てこない中、ネットで「起立性調節障害」という病気を知りました。

 

大きな病院でないと診断がつかないようなので、 紹介状をもらって総合病院へ行く必要があります。

そこで、最初に受診した病院に行って紹介状を出してもらいました。

 

紹介状のシステムは、むやみやたらに総合病院を利用する人が多いためにやむを得ない制度なんですが、

ぐったりする長女を抱えて何度もあっちの病院、こっちの病院と渡らないといけなかったのはかわいそうでした。

 

 

起立試験とMRI


総合病院では「起立試験」というテストをしました。寝ている状態や起立している状態での血圧や脈拍をとっていきます。

数分ごとに体勢を変えて、細かく数値を記録します。

 

そして起立状態での脈拍増加がみられたため、ここでようやく「起立性調節障害」だとわかりました。

「ああ、やっぱり」

 

けれど、頭痛の原因がほかにも無いか、調べる必要があります。

同時に腫瘍などほかの原因が隠れている場合もあるからです。

 

そこで別の日に予約をとってMRIの検査もしました。

 

検査用の服に着替えてしばらく待ったあと、スタッフさんに案内されて一人で検査室へ。

大きな機械に囲まれて機械音を聞きながらの検査は、怖がりな長女にとってかなり勇気のいるものだったようです。

幸い、数日後に出たMRIの結果には、脳の画像データに問題は見られませんでした。

 

ここで体調不良の原因は起立性調節障害によるものと診断がおりました。

 

 

体調不良の原因は起立性調節障害


ひとまず原因がわかった事にほっとしました。病気がわかれば、対策も立てられる。見通しが立つ。

よかった!

 

しかし明るい気持ちになったのも、一時のことでした。

 

起立性調節障害というものが、健康面でも社会的にも、見通しの立たない病気だということを身をもって知っていくことになります。

 

周りにいる同じ病気の子ども達の話を聞くと、半年や一年でもとの生活に戻れる子もいれば、何年も改善せずに高校生活もままならない状況の子どももいます。

一度もとの生活に戻っても、数年後に再発した話も身近に聞きました。

どうなるか、全く予測ができないんです。

これはなかなか受け入れられることではなありませんでした。

 

 

発想の転換

 

病気を何とかするのではなく、子どもを取り巻く環境を何とかするものだったんです。

試行錯誤を積みかさねて、私なりにそう結論を出しました。

「試行錯誤」と言っても、要するに失敗の積み重ねなんですが、それに付き合ってくれた長女、次女、三女にはひたすら感謝です。

 

そんな私の試行錯誤。

次回につづきます。

起立性調節障害を通して、親子関係を見直した話③環境」