起立性調節障害を通して、親子関係を見直した話①はじまり
「教育ブッフェ Educational buffet」で、自分の生活に好きな学びをちょっとずつ。
我が家では、子ども自身が「学ぶ場」「学び方」を選んでいます。学校・フリースクール・通信教育・家庭・習い事・公共施設など、メニューは豊富です。
今では学校は選択肢の一つ、カジュアルに選べば良いじゃない、というスタンスですが最初からそう思っていたわけではありません。
私は子どもの頃、「学校に馴染めない自分」に劣等感を持っていました。
「学校が苦手」と思うことさえなくて、「自分がダメなんだ」と思ってた。
それぐらい学校へ行く事が当たり前だと思っていたんです。学校は嫌いだけど、大人になるための通過点として当然の儀式だと、大人になって、子育てが始まってからも。
そんな私が「学校は選択肢の一つ」という認識を持つのは簡単なことではありませんでした。思い込んだ事を力ずくで切り崩して、まっさらに見つめ直す作業でした。
子ども達の不調をきっかけに、試行錯誤して悩んで、悩みの根本を見つめた末に出した結論です。
今回はその最初のきっかけになった出来事を書いていこうと思います。
最初のきっかけは、長女が起立性調節障害になって、ある日突然起き上がれなくなったこと。
起立性調節障害は、自律神経の働きが悪く、頭痛や倦怠感、昼夜逆転などの症状が出て日常生活に支障がでる病気です。
症状が重いと、学校に行くことが難しくなってしまいます。
この病気を知らなかった私は当初、長女に「頑張る事」を求めてしまいました。
「起立性調節障害を知っていれば、最初からしっかり休ませて安心させてあげられたのに」
と、今でも長女に頑張りを求めたことを、とっても後悔しています。
だから、一人でも多くの人に起立性調節障害を知ってもらい、同じように戸惑う人が減ってくれたら嬉しい。
何回かに分けて記録していくので、お付き合いいただけたら幸いです。
突然起き上がれなくなった朝、長女に訪れた頭痛・倦怠感・疲労感
2年前。長女が5年生になったある日。
いつもの起床時間に起きてこない。
何度も何度も声をかけるけれど、
まったく反応がない。
普通、寝ている人を起こそうとすると、
眉をひそめたり↓ 顔を背けたり何かしら反応しますよね。
「うーーーーーん」なんて。
でも起立性調節障害で起きれない時って、ホントに無反応なんです。
ぱかーーーーーーん、って感じです。
熱があるわけでもないし、いったいどうしたのか?
無理やり上体を起き上がらせてみたり
抱き上げてソファーに運んだり、
瞼を開けたり、
大声出して体をゆすったり・・・。
学校に間に合わない!!とすごく焦りました。
学校を休んじゃダメ
全く反応のないまま登校時間を迎え、仕方なく 次女に連絡帳を渡しました。
「休みます」ではなくて、「遅刻します」と書いて。
熱もないのに欠席はダメ!と思っていたんですね。
ようやく起きてきた長女に登校を促すと、辛そうに言いました。
「頭いたい・・・」
「疲れた、学校行けない」
でも、私の返事は
「そんな事ぐらいで休んじゃダメだよ。まずは行きなさい!」というもの。
今思うと残酷なことだったな・・・。
その時の私は、戸惑いと混乱と焦りでぐちゃぐちゃだったと思います。
戸惑いと混乱はわかるんですが、「焦り」の感情がうまれるのは、よく考えると不可解です。
なんで子供が学校へ行けないと、親が「焦ってしまう」のか?
ここに私の問題点、子供を取り巻く環境の問題点があったんですが、
それに気づくのはまだまだ先の話。
私の勝手な「焦り」が、子どもへの苛立ちや怒りに転嫁されてしまうという悪循環の中、
自分でも学校に行きたいのに動けない、親にも理解されない長女の孤独は、一週間後、診断がつくまで続きます(*_*)
つづく
起立性調節障害を通して、親子関係を見直した話②診断