AI vs. 教科書が読めない子どもたち2 すべての子どもに教科書の選択を
今回もひきつづき、「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」2018/2/2 新井 紀子 (著)について。
前回の記事のおわりに、次のように書きました。
- 中学生の読解力がサイコロ並み(2択なら50%)というのは、相当数の人が「読み」を苦手としているということでは?
- 簡単な文章であればトレーニングでできるようになるものの、複雑で膨大な情報量を読み取るだけの力をつけることはできない、もしくは相当な負担がかかる。
- そこにエネルギーを使うぐらいなら、「解く」ほうのトレーニングに使った方が良いんじゃないか?
- 「解く(理解)」力が求められていて、そこを鍛えたい。
- それであれば、デイジー教科書を活用すれば良いんじゃない?
- 「頑張ってみたけれどできなかった子に、仕方なく使用を認める」なんてハードル上げずに、紙でもデイジー教科書でも、拡大教科書でも、それぞれが自由に選んで自由に変更できればいい。
- そうすれば「読み」のグレーゾーンの子たちも、「解く」ほうに力を注げるようになる。
今回は、これについてもう少し詳しく書きたいと思います。
「発展的な学び」へ向かって、まずは基礎学習ラインを越えろ
読字障害、書字障害、などさまざまな学習障害が知られるようになり、支援も広がりつつあります。
制度的には、「読字でスムーズに学べる大多数」の中の「読字困難な少数」を支援している。
しかしおそらく読字の得意不得意は、図のようになだらかに分布していると思います。
支援が受けられるのは左の「読字障害」に認定された子どもだけ。
けれど、同じように苦労しつつも、なんとかその場その場をやり過ごしているグレーゾーンの子も多いのではないでしょうか。
基礎学習ラインを越えると発展的な学びに向かう事ができる。
しかし読字が苦手な子どもが、文字ベースの教科書から学んでいるとそのラインを超えることが難しい。
その溝を「暗記」で埋めるしかないのではないでしょうか。
同じ努力、同じ労力でも、「発展」につながる子・つながらない子
文字ベースの教科書からは、そのラインを超えることが難しい。
基礎学習ラインをめざして必死で暗記して乗り切っていく、その間に、たまたま文字と相性の良かった子は、どんどん次の発展的な学びを進めていく。
集団で学んでいる場合は、周りのペースに合わせる必要があります。
そうなると「暗記量の多い子」にとっても、「発展的な学びに進みたいけれど待たされる子」にとっても、学習の魅力がなくなっていく。
読字が得意な子、不得意な子、どちらにも不利益になっているんじゃないかな。
すべての子どもに、デイジー教科書や従来の教科書、それ以外の選択を。
読字が苦手なのに、苦手なやり方で9年以上も学ぶ必要ってあるのかな。
かれらはデイジー教科書や動画など、別の方法で基礎学習したほうが良いんじゃないでしょうか?
「ではデイジー教科書を使うかどうか、どうやって判断するのか」
という問題があるかもしれませんが、そんな事わかるわけない。
いろいろな能力判定のテストがあるだろうけれど、人間の複雑な要素を全て把握しているわけじゃありません。
環境の変化が能力に影響することも出てくるでしょう。
それを一つ一つ把握して他人が判断するなんてコストがかかりすぎる。
だから、他人が判断せず、自分で選べるようにして、「自分には合わない」と思ったら簡単に変更できるようにする。
選択肢を増やして、必要ならアドバイスが受けられて、自分で選ぶスタイルにする。
そうすればコストをかけずに、本人に適した学び方ができると思います。
教科書の変更に条件をつけず、本人が自分の権利として教科書を自由に選ぶ。
基礎学習ラインを早々にクリアして、発展学習をすすめていける
自分にあったやり方で学ぶことができれば、多くの子どもが基礎学習ラインを「理解」を伴って超えることができるようになる。
そうすれば、一斉授業のクラスでも、発展的な学びを行える時間が増えるんじゃないでしょうか。
一斉授業に対するメリットについて書きましたが、もっと言えば、イエナプランのように、各自が全く別のことを学ぶのが良いと思っています。
そして定期的に脳に負荷をかけるような「答えの無い問い」を突き詰めてディスカッションする、というスタイルが良いんだろうな。
すでに学校外で学んでいる子ども達
「教科書はわかりにくいから、動画で勉強する」という子ども達に、教科書で勉強するやり方を教えるか、適した教材を提供するか。
合理的なのは「適した教材の提供」です。
だって、何十年も続けていた「教科書で勉強するやり方」が定着しなかったから、現状の読解力になっているんだもの。
すでに一部の子ども達は、タブレット教材や映像授業で、自分にあった塾で、さらにはYouTubeで、教科書では理解できなかった事をわかりやすく学んで補習している。
これ、教科書を作る人、作らせている人は、どう分析しているんでしょうか?
教科書は税金で無料配布しているし、副教材は子ども達が選べるわけじゃない。
けれどもし、自分たちが作った教科書、副教材が市場に出て、他の教材と並ぶことになったとき、選ばれる自信があるでしょうか。
市場の原理にさらされずに来たために、子ども達のニーズをとらえることができなくなっていたのではないでしょうか。
「文字では学びにくい」という一定数の子ども達。
その声を拾っていたのは、民間企業のほうだったのでは?
もっと多くの子どもに「発展学習」を
基礎学習ラインを越えるための様々なツールを用意して、発展的な学びをすすめていく。
集団の中から抜きんでた個人を育成するのではなく、集団そのものの底上げをする。
そこにAIの時代を生きる人間のヒントがあると思います。
今回は、紙ベースの教科書以外の選択肢を、すべての子どもに、というテーマでお送りしました。
次回に続きます。