AI vs. 教科書が読めない子どもたち3 フレームの暗記だけで生きる人たち
今回もひきつづき、「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」2018/2/2 新井 紀子 (著)について。
人生そのものを暗記で乗り切る人がいる?
第一回では
- 読字が苦手な子は、一定数いる
- 高度成長期に大学への進学率が上がった
- 理解をすることが難しい子も、入学させる必要が出てきた
- 理解を育てるよりも、丸ごと暗記させたほうが、手間をかけずに早く結果が出た
- 学校の勉強が、暗記によるテスト対策になっていった
と書きました。
さらに、
- 人生さえも暗記で乗り切っている人がいるのでは?
- 「前提を疑って改善を」という提案に対して、反感を覚える人
- 閉じた組織が治外法権状態でも支持をする人
- こういった行動の裏には、暗記したものを覆されては困るという意識が働くのではないか
- 彼らは「ルールを暗記」「常識を暗記」することで、社会生活での判断を乗り切っているのでは
第一回の記事では、ここまでの疑問を書きました。
人間関係でさえも、フレームの暗記?暗記力を基盤とするコミュニケーション能力
「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」
本文P172より
では、現代社会に生きる私たちの多くは、AIに肩代わりできない種類の仕事を不足なくうまくやっていけるだけの読解力や常識、あるいは柔軟性や発想力を十分に備えているでしょうか。
常識の欠如した人が増えてきているのは嘆かわしいことですが、大半の人が持ち合わせていなければ、それはもはや常識とは言いませんから、
常識や無意識の人間らしい合理的な判断は大半の人が持ち合わせていることにしておきます。
問題は読解力を基盤とする、コミュニケーション能力や理解力です。
「読解力を基盤とする、コミュニケーション能力」の部分を読んで、
「では、暗記力を基盤とするコミュニケーション能力、というのも存在しているのでは?」と思いました。
- 読解力の基盤を作れない。
- 理解を伴うコミュニケーション能力や、理解力を育てられない。
- コミュニケーションが必要な場面は、コミュニケーションフレームの暗記で乗り切る。
- 暗記によるコミュニケーション能力が育つ。
という事が起こっているのではないでしょうか。
暗記によるコミュニケーション能力とは?
「暗記力を基盤とするコミュニケーション能力」ってどんなものでしょうか。
まず、
- 「理解」を伴わない
- 相手をカテゴライズする。(人種・年齢・性別・地位など)
- カテゴリーに合わせてフレームを当てはめる
- フレーム通りの対応をする
考えてみれば、これは誰もがやっていることですね。
人間は生まれた時から、周囲の大人のコミュニケーションを繰り返し見て、フレームを学んでいるのではないでしょうか。
コミュニティのルールを覚える。
コミュニケーションのフレームを覚える。
相手をカテゴライズしてフレームを当てはめ、「暗記力を基盤とするコミュニケーション」をとる。
基礎学習と同じで、フレームによるコミュニケーションを習得した後、「読解力を基盤とするコミュニケーション」へと発展させていく。
暗記によるコミュニケーションは誰もがやっていることなのに、そこで止まってしまう人と、読解力を基盤とする(相手を理解する)コミュニケーションに進む人がいる。
一体何が違うんでしょうか。
人への愛着を奪うもの
人は生まれた時から「他者と関わりたい」「理解したい」「理解されたい」という愛着心を持っています。
そして、見て学んだ「フレームによるコミュニケーション」を実際に繰り返していくうちに信頼関係を築いていく。
相手に愛着を持ち、表情や行動を「読み」、内面を推測し「理解」するようになる。
でも、もし信頼関係を築けなかったら?
相手から「フレームにはまった行動」だけを求められたら?
そもそも、身近な大人が「読解力を基盤とするコミュニケーション」を身に着けていなかったら?(理解してもらえない)
愛着心を育てられないのではないか。
愛着心をもたなければ、相手への理解につながらない。
フレームのコミュニケーションに磨きをかけていくだけじゃないか。
実際はもっと複雑に環境が絡み合って原因が生まれるんでしょうが、「理解したい・されたい」という気持ちが発展的なコミュニケーションにつながるのだろうな、と思いました。
また、読解力を育てる発展的な学びの中からも、この「読解力を基盤とするコミュニケーション」は育つんじゃないかと思います。
ただし、健全な愛着心を持っている場合には。
子育て中なので、
子どもの内面に関心を持つことって大事だなぁ、
世間に恥ずかしくない態度かどうかって目だけで見ちゃダメだよね、
と再認識しました。
次回は、「暗記力を基盤とするコミュニケーション能力」の弊害と「読解力を基盤とするコミュニケーション能力」の必要性について書きたいと思います。