Educational Buffet!

学びをえらぶ 自分で決める 環境をデザインする 家庭ベースの教育ブッフェ

不登校の先に目指すもの

うちの3姉妹

長女と次女(中1・小4)が起立性調節障害です。

 

二人とも学校のペースで動くことが難しくて、家で勉強しています。

長女はしばらく中学校生活を頑張っていたんですが、疲れがたまりダウンしてしまいました。

 

「学校は休んで、家で勉強したい。」

という長女の希望に沿って環境を整えました。

 

中学生になると、進路の問題も出てきます。

休ませて良いのか、将来どうなるか・・・親だって葛藤は深いものです。

 

 

不登校を選択したらどうなる?

 

学校に行ってくれれば、親はほとんど何もする必要はありません。

責任主体じゃないし、やることと言ったらお手伝い。

子どもの邪魔をしない、学校に協力する、トラブル解決など必要な援助をする、程度でしょうか。

給食費を滞納しないとかもね。

 

学校って、公費が投入された、安価で質の良いパッケージツアーです。

おまかせしていれば、基本的なことは全部やってくれる。

親は仕事に専念できる。

 

そりゃ、「問題なければ」行けるに越したことはありませんね。

払った税金<恩恵 です。

 

不登校の場合、ほとんど公費による支援はありません。

フリースクールや通信教育、家庭教師、など代替の教育には補助が出ない。

給食も材料費以外は公費で賄われてますが、通学していない子どもは恩恵にあずかれない。

学校施設もそうですね。

 

日本では、公教育を含めた支援は、すべて「学校」というルートからしか得られないようになっています。

学校に行かないと公教育を受けられず、公的な教育支援から断絶されてしまいます。

 

断絶などと言うと、適応指導教室スクールカウンセラーなどがあるじゃないかと言われそうです。

 

しかしこれらの支援も、(個別の先生の考えはともかく)設置した側の目的は「学校に適応させるための援助」だと思います。

学校に行かない子のための「学校以外の支援」は聞いたことがありません。

 

 

「家庭」に求められるもの

 

もちろん学校の先生と、連絡をとって相談することはできます。

先生たちだって親身に心配してくれる。

民間の支援団体は数多くありますし、もしかしたら公的な援助が得られる機関もあるかもしれない。

 

でも、責任主体は「家庭」だけです。

 

すべて自分で動いて情報を集めていき、適切な機関をさがし、子供との相性を確認し、その後のフォローも継続するって仕事が「家庭」だけにかかってきます。

 

何もしなくても自治体から入学通知が届くような、先生が日々の様子を見守ってくれるような、手厚い支援からは切り離されてしまいます。

 

そんな中、保護者の「金銭的なゆとり」「時間的なゆとり」「健康(肉体的精神的なゆとり)」のどれか一つでもかけたらどうでしょう。

 

即、家庭は孤立します。

 

公的支援から断絶され、民間の支援にもアクセスできなくなります。

今の時代に、すべての「ゆとり」を継続的に確保できる家庭が、一体どれほどあるんでしょうか?

 

 

「学校」という一本だけの命綱。手を離さないように頑張れ?!

 

普通、ライフラインっていろんな災害を想定して、いくつかの供給ルートを想定しますよね。

水道だったら給水所とか、給水車とか。

公教育って個人の人生に関わるライフラインだと思うんですが、「複数の供給ルートを想定する」って発想がないんですね。

 

今の「教育制度(先生ではなく)」を災害時にあてはめてみたら、こんな感じです。

 

避難所でいじめや暴力に合おうが、体調が悪かろうが、

「避難所に水や食糧を受け取りに来てください。毎日です。避難所に来ない場合は、いっさい配給できません。

来ない方はすべて自力で確保してください。自宅で飢え死にしたとしても、自己責任です。

ぜひ頑張って避難所に通ってください。避難所に通わせるのは義務ですので、通えるように支援しますよ。」

 

こんな状況じゃ「通えるように頑張らせなきゃ」って思っちゃいますよね。

誰も幸せにならないシステムです。

供給ルートを複数にして、公教育の選択肢を増やしてほしいと切に願います。

 

 

中学生以降は進学の悩みも

 

私もこれから調べてアップしていこうと思いますが、

進学の悩み・・・

どんなに誠実に学習に取り組んでいても、その学びの場が「学校」でないと、進学先が極端に制限されてしまうこと。

将来に直結するだけに、穏やかではいられません。

  

でも、それは子どものせいじゃないんですよね。

学校以外の公的な選択肢が無いのは、子どもの責任じゃないです。

だから、子どもたちには負い目を感じずに過ごしてほしい。

それぞれの選択を尊重したい。

 

 

何のために不登校を選択するのか

 

「他人への信頼をはぐくんでほしい」

「自分への信頼をはぐくんでほしい」

「学びを楽しんでほしい」

 

 

時代はあまりに大きく変わっていってしまって、

正直、どうすれば子供たちが幸せに生きていけるのか、そのために何をすれば良いのか、全然わかりません。

 

ただ、変化の時代にあって、「学校で学んだあとは、仕事をするだけ」という生き方はリスキーだということはわかります。

「働きながら学び続ける」

「その都度いろんな背景を持った人々と、短期のチームを組んで問題解決をして、解散する、を繰り返す」

という働き方、生き方が大勢になりそうです。

(私みたいに)学ぶことに抵抗感があって、人を信頼できなければ死活問題かも・・・。

 

依存ではなく信頼をはぐくむ。

学ぶことを楽しむ。

 

 

体調を崩してしまった娘たちを無理に登校させると、「信頼」と「楽しみとしての学び」を剝ぎ取ってしまう気がしました。

もちろん、元気になって「学校に行きたい」と言えば応援します。

子どもの判断を信頼して、できる限りの支援をしようと思い、それが今は「不登校」という形になりました。

 

子どもたち世代は100歳まで生きるかも?なんて話も聞いたことがあります。

そんなに長く生きるのなら、「自分や他人を好きでいること」をまずは育てたいと思いました。

「世界って興味深い。学ぶって面白い」って思ってくれたら、生きることはどんなに豊かになるでしょうか。

不登校の先に目指すものは、そんな娘たちの大人になった姿です。

 

学校の先生は信頼できる方ばかりなので、いろいろ相談しながら見守っていこうと思います。

子どもとつなぐサークルを、すこしずつ大きな輪にしていきたいな。