Educational Buffet!

学びをえらぶ 自分で決める 環境をデザインする 家庭ベースの教育ブッフェ

起立性調節障害を通じて、親子関係を見直した話⑤発展

私は子どもの頃、「学校に馴染めない自分」に劣等感を持っていました。

「学校が苦手」と思うことさえなくて、「自分がダメなんだ」と思ってた。

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そんな私が「学校は選択肢の一つ」という認識を持つのは簡単なことではありませんでした。子ども達の不調をきっかけに、試行錯誤して悩んで、悩みの根本を見つめた末に出した結論です。

そのきっかけになった出来事について、前回記事の続きです。

 

 

日々の変化に、一喜一憂。めざせ平常心!

 

子ども自身が「自分で決める」を大切にするようになり、私の態度にも変化があったのでしょうか。

長女にもゆとりが出てきて体調が改善し、一緒に勉強できるようにもなりました。

 

勉強と言っても、教科書を少しずつ一緒に読んでいくだけ。

 

実はそれまでほとんど教科書を読むことがなく、宿題のチェックをする以外はほったらかしだった私。

30年ぶりに読む教科書は、懐かしさや新しい発見がたくさんあり、長女とおしゃべりしながら楽しく勉強しました。

 

当初は一人になることを極端に怖がっていて、長女を置いて買い物にも行けなかったんですが、半年ほどすると留守番もできるようになりました。

少しでも外出できるようになると、本当に気が楽になりました。

 

5年生の一学期から体調を崩した長女。

 

三学期になると、少しずつ登校できる日が出てきました。

クラスに送り届けて学校を一人で出るとき、とてもホッとしたことを覚えています。

 

そして、ちょっとだけ「明日も行けるかも」と期待してしまうんですね。

次の日は行けないとなると、ついついがっかりしてしまったり。

気持ちのアップダウンは良くないなぁ。

期待せず、淡々と、平常心で!を心がけました。

 

放課後、友だちと遊ぶ姿には涙が出ました。

当たり前に思っていたけど、当たり前じゃなかった。

 

このまま順調に六年生を迎えられるかも、と思った矢先の三月。

体調不良の波がやってきました。

結局三月はほとんど欠席のまま、春休みを迎えたのでした。

 

そして回復


四月。

三女も入学し、三人で一緒に登校です。

最初はどうなるかと心配しましたが、全く欠席せず、毎日元気に登校していました。

 

五年生の時の先生が、持ち上がりで担任になり(ばんざい!と二人で大喜び)毎日楽しく過ごしました。

ときどき頭痛があっても、薬を飲んだり、すぐに休憩したりでコントロールできていました。

 

きっかけ、というものはなくて、「充電が終わった」ということのようです。

 

 

一年分の元気が大爆発!


毎日のように公園で遊びまわるようになりました。

男女関係なく、その時遊べる子で集まってにぎやかに過ごしていたようです。

一年前の姿を久しぶりにみました。

 

「委員長」「クラブ長」「班長」「実行委員長」など、「長」のつくものには片っ端から立候補!

「ほどほどに・・・」「もうその辺で・・・」という私の言葉は全く届きません。

 

まぁ、やるだけやればいいさ。

倒れたら、フォローはするさ。

 

そのハイテンションぶりを、当時の絵日記から振り返ってみたいと思います。

 

 

ハイテンションな長女

 

次女が「学校で失敗するのが心配でつらい」という相談をしてきたとき、長女にアドバイスを求めてみた。

 

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元気に動けることが、嬉しくて仕方がないようでした。

 

 

※ちなみにこの時、次女(当時3年生)が学校生活が苦しくなって相談してきていました。

この数ヶ月後、今度は次女が起立性調節障害を発症して不登校に。

 

 

頭の中の「ダメ出し君」には、「後部座席」で待機していてもらおう。

 

苦しい一年でしたが、とことん自分の発想の源と向き合ったという意味では、とても豊かな時間でした。

 

どこかでいつも「自分はダメな人間だ」という考えが抜けなくて、それを修正するために必死だった気がします。

社会に合わせて自分を矯正しようと努力していたんです。

 

自分に対してやっていることを、子どもにも良かれと思ってやっていました。

ゴリ押しではなかったけれど、やんわりと、優しく、穏やかに、「矯正」しようとしていた。

 

私の頭の中にいた「ダメ出し君」は、もう私の一部で、「消えろ!」と言って消えるような存在ではありません。

だけど助手席に座って、横から指図するのはやめてもらおうと思いました。

「ダメ出し君」には後部座席に移動してもらい、静かにしていてもらおうと思います。

騒ぐようならトランクに入れるまで。

 

 

子どもにも多様な生き方がある

 

「学校教育を通じて私の中に『ダメ出し君』が育ち、私自身の行動を制限して、管理と監視、依存の関係を強化していった」

と書きましたが、学校は「ダメ出し君」が育ちやすい場だったというだけで、もともとは私と実母の親子関係の中で生まれた存在です。

 

母は母で、祖母や家族との関係に影響されていますし、そもそも、日本の人間関係は共依存的な要素が大きいと思います。

「タテ社会」という呼び名に象徴されるように、立場の上下に基づいた関係を維持するのに、「管理・監視・依存」の力が有効に働くんでしょう。

 

学校は、それらの要素が抽出されて、より濃く表れている場です。

 

大人がそれを自覚して、多様な子どもの生き方を尊重することを学ばなくてはいけないんだな、と、

ようやく「子どもの権利」を理解し始めました。

 

 

信頼を積みかさねる


1年を経て、元気になった長女。

ホッするのもつかの間、いじめ問題に直面し、次女の起立性調節障害が発症し、そして現在は長女と次女が不登校です。

(2018年9月現在は、次女と三女が不登校。長女は中学校を楽しみつつも、1ヶ月お休みしてセブ島ホームステイにチャレンジしています)

 

次から次で、ハゲそうですが、一つ一つを子どもたちと一緒に乗り越えていきました。

そしてこれからも。

 

信頼をベースにした関係を、少しずつ築いていきたいな。