起立性調節障害を通して、親子関係を見直した話④悩み
私は子どもの頃、「学校に馴染めない自分」に劣等感を持っていました。
「学校が苦手」と思うことさえなくて、「自分がダメなんだ」と思ってた。
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そんな私が「学校は選択肢の一つ」という認識を持つのは簡単なことではありませんでした。子ども達の不調をきっかけに、試行錯誤して悩んで、悩みの根本を見つめた末に出した結論です。
そのきっかけになった出来事について、前回記事の続きです。
- 一日を、まずは生きる
- 親が鬱になることも。精神科は早めに病院の予約を
- 子どもの精神科受診について
- 悩みはプロに相談しよう
- 実は学校生活でとっても努力していた長女
- いてくれるだけで良いよ
- 「自分で決める」ことを奪わない
親子関係を見直したきっかけは?と思い返してみるんですが、はっきりとこの瞬間というのは無いんですよね。
看病を通して少しずつ軌道修正させられていった部分が大きいです。
最後の最後に大きなアドバイスをもらうんですが、それを素直に受け止められるようになったのも、それまでの積み重ねのおかげだったと思います。
なので、実際にどうやって日々を過ごしていたか、振り返ってみようと思います。
一日を、まずは生きる
7時。
長女を担ぎ上げてソファーに移す。
頭を上げた姿勢で、日光に当てる。
もちろん全く反応なし。
へい!
処方された薬を飲ませたくても、まったく反応なし。
「寝ていても口に含ませましょう」と書いてあるので試してみると、大暴れです。
「飲まないと良くならないよ!」
「口に入れるだけでいいから!」
と言いながら、でも、
本当に押さえつけてまで飲ませるべきなのか?
嫌がる子に強制することなのか?
薬の飲ませ方ひとつでも、悩みながらでした。
結局、薬は起きてから飲むことにしました。
日によるけれど、10時~14時に長女起床。
具合が悪いときは一日中、動かない。
「具合はどう?」
「アタマいたい・・・」
食欲はないけど、カレーうどんなら食べられる。
生姜スープを飲むと元気になる。
これまで意識せずに流れていった生活の一つ一つを、新たに積みかさねていく。
たまに夕方に学校へ行ったり、
スクールカウンセラーの先生と過ごしたり、
病院へ行ったり、
それ以外は家で過ごす毎日。
状態は安定せず、ムズムズ足症候群に悩まされたり、イライラで暴れたり、昼夜逆転になったり、
(まだ5年生だったので、夜中に一人で起きているのは心細かったようです。)
一つ解決したらまた一つ問題が起こる、の繰り返しでした。
先のことを考えると気が遠くなりそうで、「今日この一日を生きる」ことをがんばっていました。
この時すでに、私が鬱状態だったんだと思います。
親が鬱になることも。精神科は早めに病院の予約を
こういう状況になると、子どものケアは親だけにかかってきます。
夫婦で協力できればまだ良いんですが、いろいろな事情で一人で取り組まなければならない家庭もありますよね。
うちは夫婦二人だったけれど、実際に悩んで動いたのは私だけでした。
子どもの手前、あまり落ち込む姿も見せられず、きょうだいのいる家庭であればほかの子の世話だって同時進行です。
親が鬱になってしまうことも多いようです。
おかしい、と思ってから病院を探しても、精神科ってすぐには受診できないんですよね。
ストレスを感じたら、早めに評判の良い精神科を探してあらかじめ予約をとることをおすすめします。
私は長女を見てくれている精神科の先生がいたので、「どうもおかしい」と思ってすぐ相談できました。
子どもの精神科受診について
子どもを診断できる精神科の先生は数が少なく、予約しても数か月先です。
必要を感じたら、かかりつけの先生に紹介状をもらい、早めに予約することをおすすめします。
というか、必要を感じなくてもまずは予約のために動くことを強くおすすめします。
予約するためには、通える範囲の病院をリサーチして、評判や雰囲気をつかみ、予約の方法(たいていの病院は予約するのも厳密なルールがあります)を調べて、実際に受診できるタイミングを知る必要があります。
この情報を得るまでには、時間とエネルギーがかかります。
必要に駆られてからこれをやるのは、けっこうキツい。
早めに動いて損はないと思います。
悩みはプロに相談しよう
担任の先生、スクールカウンセラーの先生、保健の先生、図工の先生、図書の先生、補助の先生。
沢山の先生に一緒に考えてもらいました。
総合病院の先生、精神科の先生。
否定をせずに、話を聞いてくれました。
「ちょっと悩んでいるんですよねー」
って、相談していきました。
聞いてもらえるとゆとりが出てくるし、それが子どものためにもなるし。
親の心ののケアも、とっても大事です。
実は学校生活でとっても努力していた長女
精神科で発達の検査もしました。
その中でわかったことがあります。
基本的には全項目が平均的なんですが、「言葉で理解する力」と「目で見て理解する力」の落差が大きいという結果がでました。
全体的に高いとか、全体的に低いのであれば、あまりストレスがないらしいのですが、
落差があるほどに、実生活で苦労しストレスを感じやすいんだそうです。
長女の場合、「言葉で理解する力」があるけれど、「目で見て理解する力」が弱い。
学校という場では、言葉による指示には苦労しないけれど、周りを見て状況を理解することが難しい。
そこをフォローしてくれる友だちがいれば良いのですが、クラス替えなどがきっかけで学校生活に苦労することもあったようです。
大人の目から見て問題なく過ごしているように見えても、実は本人がすごく努力して学校生活についていっていた、という事がわかりました。
「そうだったのか」
実はすごく頑張っていたのか。
ぜんぜん気づかなかった。見ていなかったな。
いてくれるだけで良いよ
「もっと頑張れるんじゃないの?」って考えが、「そんなに頑張っていたのか」という気づきに変わっていった。
そんな風に少しずつ、少しずつ、思い出していきました。
まだお腹にいるころ、出産のとき、赤ちゃんのとき、いろんな病気や事故を心配しながら、「いてくれるだけで良い」って思っていたこと。
そうだった。
いてくれるだけで良かったんだよね。
「自分で決める」ことを奪わない
そんなある日、友だちが
「知り合いの霊感が強い人に、あなたのこと聞いてみた」と、私たち親子の霊視(?)を教えてくれました。
その霊感の強い人は、
「お母さんが、なんでも決めてるんじゃないかな?
頭が痛いなら寝ていなさい、とか、結論を出しちゃう。
子どもが決めるようにしていくと良いよ。
どうする?って聞いて、決めたら理由だけ確認して、その通りにしていけばいいよ。」
と言ったそうです。
う!当たってる!
「頭が痛いなら寝ていなさい」って言ってる!
いや、当てはまる人はたくさんいるかもしれませんが、霊感がどんなものなのかわかりませんが、
そのアドバイス、すごく大事だと思いました。
ちょうど、子どもの意思を尊重していない自分を、ようやく自覚し始めたタイミングでした。
体調を崩した本人が、登校は無理だと判断したのだから、その判断に沿って環境を整えれば良いだけだった。
大変だし、心配ではあるけれど、シンプルなことだったんです。
変に悩まなくてもよかったんだ。
「自分で決める」
時に命を懸けてでも人々が守ってきた権利です。
子どもからも奪ってはいけなかったんです。
それまで能面のように表情がなく、いつも真っ青な顔をしていた長女でしたが、少しずつ穏やかに楽しみを見つけながら過ごせるようになってきました。
次回につづきます。
「起立性調節障害を通じて、親子関係を見直した話⑤発展」