デイジー教科書勉強会4 教室利用と評価の壁
2018年6月15日 学習障害のある子供向けデジタル教科書(デイジー教科書)の勉強会を見学しました。
今回は、デイジー教科書勉強会についてのまとめ4回目、最終回です。
最終回は、デイジー教科書やiPadが教室で使えない事について。実際にうちもその壁に当たっているので、この問題を書いていきたいと思います。
- 三女の困りごとと学習支援
- タブレットとキーボードがあれば学習できる子ども達
- インプットの問題
- アウトプットの問題
- 適切な評価が無ければ、能力にあった進学ができない
- 合理的配慮と「ズルい」の壁
- 「ズルい」にならない為のいくつものハードルがある
- タブレットとキーボード、道具があるのに使えない。杖も眼鏡も補聴器も車イスも?
過去記事
デイジー教科書勉強会2 デジタル教科書の有効性を具体的に学ぶ
三女の困りごとと学習支援
三女の書字障害がわかるまで、私は努力と根性で宿題を終わらせるように、ねじ込むような働きかけをしていました。
学校を嫌がるようになった事がきっかけで相談窓口へ行き、そこで書字障害がわかりました。
本人はとても努力していること、それでも追いつけない辛さというものをようやく理解できたんです。
無事通級に通いはじめ、二年生の担任の先生も配慮してくれて、楽しく登校するようになりました。
が、学年があがることや担任が変わった事の負担感からか、三年生になってすぐに不登校が始まりました。
クラスのルールが大きく変わり、皆と同じように勉強しなくてはならなくなった。それが一番の原因じゃないかと思います。
学習環境が安定していれば、自分に合ったやり方が認められれば、今も楽しく通学していたかもしれません。
タブレットとキーボードがあれば学習できる子ども達
インプットの問題
インプットに関しては、デイジー教科書やタブレット通信教育、動画など、その子に合ったツールを見つければ問題なく進めていける環境があると思います。
問題は、教室からそれらのツールが排除されていることです。
それらのツールが無いのが当たり前だから、必要があって持ち込む場合に根気のいる手続きが必要になります。
そして安定して認められるとは限らず、他の子どもが配慮に不満を持ってしまえば学校生活に支障が出る。
三女の場合、2年生の時の先生は「黒板なんて、私が写真撮ってメールで送れば十分だと思います。」と言ってくれる先生でした。書く量が少ないから、タブレットの持ち込みや黒板の撮影は結局しませんでしたが、理解のある先生でした。
だけど理解のある先生に当たるって、かなりラッキーなんじゃないかと。次の先生がどう考えるかはわからないし、毎年の保証は無いんですよね。
アウトプットの問題
最近、NHKで発達障害を多く取り上げてくれています。その中で、ある中学生が合理的配慮を受けてテストを受けていました。
試験中にパソコンとプリンターを持ち込み、先生が見守る中、パソコンでテストを回答していました。
1.解答用紙をスキャナーで読み取る
2.パソコンで答えを入力する
3.プリンターで印刷して提出する
先々はデータのみで受験できるといいなと思いますが、それでもこうして配慮してもらえる。理解していることを評価してもらえる。これは大きいです。
だけどこれ、自治体・校長・先生・周りの生徒、すべての理解があって成立する事なんですよね。ここまで学校と調整するのがどれほど大変だったかなと、気が遠くなる思いでした。
また、パソコンやプリンターの管理は家庭の責任で行われているようで、小学生の段階で自分で管理をするのは難しそうです。
合理的配慮と言っても、「家庭が主体でやるのであれば、お手伝いしますよ」という形になってしまうと、家庭のゆとりによって子どもの学びが左右されてしまうことになります。この場合、パソコンとプリンターを用意できて管理できる家庭に限られる。
どんな家庭の子でも合理的配慮を受けられる体制が必要です。
適切な評価が無ければ、能力にあった進学ができない
中学校では、内申点が進学先に大きく影響します。内申点はテストだけでなく、日ごろの提出物や学習態度なども含めて総合的に判断されます。ノート提出、ワーク提出、プリント提出、ほとんどが紙に書かないと条件をクリアできません。
当然内申点を取ることが難しい。
どんなに理解していても、紙ベースで証明できないと理解に応じた進学先に進むことができません。
テストや課題をやらせる事で何を知りたいのでしょうか?
テストは「理解度」を測るために行われているはず。「文字を読む力」「紙に書く力」を知りたいわけではないだろうに。
紙ベースで理解度が図れない子どもがいるとわかっているのに変えようとしないのは、本来の目的を忘れて型だけが残っている証拠ではないでしょうか。
合理的配慮と「ズルい」の壁
書字障害がわかった、配慮もある、バンザイ、にならない
三女の書字障害がわかってから、授業中もボリュームを減らしてもらったり、先生が手を貸したり、いろいろ配慮をしてもらいました。
そうすると時々「あの子だけズルい」と言う子がいるそうで、先生が「じゃあ、あなたも減らす?」と聞くとそれ以上何も言わなくなるんだとか。
その対応自体は「なるほど」と勉強になり、私も使うようになったのですが、
普段から自分だけボリュームを減らしてもらい、周りからズルいと言われ、それでも課題をこなすのが難しい、という状況です。三女はどんな気持ちで登校していたのか、不登校になってから思い返しました。
合理的配慮が進んでほしいけれど、一方で子ども同士のズルいという感情はどうしようもない。
「ズルい」にならない為のいくつものハードルがある
「ズルい」という感情が生まれるような、強制・矯正・統制的な社会の子育て感におおもとの問題があると思いますが、それを言っても目の前の子どもの助けにはならない。
先生に頼んで、クラスの子ども達に説明をしてもらうこともできます。
だけどそれ以前の段階として、先生とクラスの子ども達の間に信頼関係が必要です。信頼関係が無ければ表面的な対応にしかならない。
子どもにも先生に対しても抑圧的に作られている学校制度の中で、本当の意味での信頼関係を築くことは相当に難しいと思います。
そうした不満が当事者の子どもに向く可能性がある。
それを防ぐためにも、先生との連携やクラスの様子を把握することが必要ですが、それができる家庭は限られています。
「ズルい」の壁もまた、大きいです。
タブレットとキーボード、道具があるのに使えない。杖も眼鏡も補聴器も車イスも?
杖、メガネ、補聴器、車イス、タブレット、キーボード・・・
どれも障害のある人のハンディキャップを取り除く大切なツールです。当たり前に利用できる学校作りを、必要な予算を投入して行ってほしい。
税金の使い方は、それ自体が国家のデザイン。未来をイメージできるかっこいいデザインを見せてほしい。
たくさんの人たちが、学習障害の問題を何とかしようとしてくれている
今回の勉強会に参加して、当事者の親御さんや専門家の多くが、自分の時間を使って取り組んでいること、見学に来た人たちも強い関心があって参加したこと、多くの人が他人事とせずに関わっていることを知りました。
一人で困らなくていいよ、助けてくれる人がいるよ、と三女に伝えられる。
いきなり完璧にはいかなくても、少しずつ状況が良くなっていると、希望を感じた勉強会でした。