Educational Buffet!

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書字障害を考える 支援までの道のり 三女の場合

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子どもの成長ってあっという間ですね。

三女もいつの間にか背が伸びて、大人びた発言も多くなり、もともと優しいところがあったのですが、最近はますます優しさに磨きがかかってきたような気がします。

そんな三女の成長と支援のあり方を、時々は記録していこうと思いました。

そこで今回は、これまでの紆余曲折を記事にしてみます。

 

三女の苦しい学校生活


三女は保育園までは、何も困ることなく過ごしていました。

好きな工作に没頭し、異年齢保育の中で年下の子の面倒をよく見て、気の合う友だちもいる。先生は見守りの姿勢で、介入は最小限。だからとても穏やかに過ごせる環境でした。

 

穏やかな保育園生活が一変 THE 小1の壁!

 

ところが学校が始まると、本人も周りも困り事が続出。

学習面だけでなく、帰る場所を間違えたり、友だちの家に直接行ってしまったり、下校したあと行方不明になって大騒ぎしたら公園で遊んでいたり、本当にしょっちゅう探し回るようになっていました。

 

学校の準備も宿題も、とても時間がかかります。嫌がって嫌がって、何とか終わらせる状態でした。

 

ずっと保育園の友だちに会いたがっていたけれど、今思えば、保育園の頃のような安心して過ごせる中での友だち関係が欲しかったのかもしれません。

 

この頃、子ども達が巻き込まれたトラブルの対応や長女のいじめ問題、次女が起立性調節障害で寝込んでしまったりで、私もいっぱいいっぱいで、三女の事は後回しになっていました。

 

 

当たり前に通信教育をはじめてみたけれど

 

お姉ちゃん達がやっているからとZ会を始めたけれど、今考えれば無理な話。私がマンツーマンで一つずつ回答させて添削、やり直し。お姉ちゃん達と同じようにやっているのに、全くできない。

このままじゃ親子関係が悪くなると思い、Z会は退会しました。

 

 

手を変え品を変え、「できる」ように努力「させて」みる
一年生の宿題はまだボリュームが少ない。ゆとりのある日は、テストでできなかった漢字を「自学ノート」にやりなおすようにしました。

なるべく楽しめるように、無理させずに進めていましたが、それでも何度も字を繰り返す作業は大変だったろうな。

 

当時はLD 学習障害の存在はぼんやりと聞きかじっただけで、目の前の娘の状態と結びついていませんでした。

 

 

自治体の相談窓口に行ってみて糸口をつかんだ

 

2年生になると環境が変わり、勉強が難しくなって、学校に行きたがらなくなりました。

先生から通級を勧められて相談窓口に行き、たまたま三女のノートを見せたところ

 

 

「この子は書字障害ですね。とっても真面目な子ですね。本当に苦労して頑張って書いている。」と、教えてもらえました。

 

 

三女の苦労と努力を私がわかっていなかったので、こうして専門家に見てもらって知ることができたのは本当に良かったです。

怠けているとは思わなかったけど、苦労して頑張っているとも思っていなかった。

 

 

発達テストを経て、無事 通級へ!

 

夏休み前に発達テストを受け、二学期からは、無事に通級へ通いはじめました。

 

担当の先生が三女に合わせたプランを立てて、学校生活がスムーズに行くように楽しみながらトレーニングしてくれます。

聞きながら手を動かす練習、目の動きのトレーニング、いくつかの支持を覚える練習、などなど対話しながら進めてくれました。

 

三女は最初は緊張していたようですが、慣れてくるとおしゃべりも楽しむようになり、学校も嫌がらなくなりました。

 

ホッ。

ここでようやく、三女これまでに思いをはせるゆとりが出てきました。

 

 

 

「ダメ出し君」に責められる日々

笑われるしか身の置き場を確保できない


三女は一年生の時からテストの間違いや宿題忘れは多かった。

だけど三女は何も言わなかったし、元気がなくなる様子もありませんでした。

「えへへ」と、×だらけの答案を出したり、私が忘れ物に気付いてツッコむと「あはは」と笑いに変える。

本人はあまり深刻に感じていない、気にしていない、おおらかな子どもなのかと思っていました。でも実は笑いに変える以外に身の置き場がないぐらい、困っていたし傷ついていたんです。

 

 

立場を変えてロールプレイング 親が生徒で子が先生になって得たもの

 

それを実感したのが、2年生の3学期からはじめた宿題の取り組み「三女が先生になる」です。

 

・このままだと勉強嫌いになるし信頼関係もなくなるから、宿題はもうやらせない方が良い。

・だけど学校で自分だけ宿題の提出が無いのは嫌がる。

・何もしないより、少しでも復習ができると良いな。

 

そこで私が宿題をやって、三女が先生になって〇つけをする、という取り組みを始めました。担任の先生も理解してくれて、さっそくスタート!

すると2年生の宿題が、大人にとってもけっこうなボリュームだという事がわかりました。

 

 

宿題って大変!

 

漢字は白紙であればサラサラっと書くことはできるんですが、ドリルをなぞったり見本通りに何回も書くのって相当に手が疲れる。

かけ算をランダムに100問答えるって、相当に脳が疲れる。

さらに音読だと!?

 

宿題って大変だなぁ、と頑張って終わらせて三女先生に添削をお願いしました。

 

 

ダメ出しスタート!

 

すると三女は漢字のトメハネを細かくチェックして、次々に小さな違いを指摘。三女から「ここにやり直してね」とドリルを返されました。またやるの?!

 

すごーーーーく頑張って書いたのに!たくさん×が付くことが、大人の私でもちょっとショックでした。

 

まして書字に困難がある三女のこと。

メチャメチャ頭と手を酷使してようやく完成させたドリルやプリントに、大量の×が付いて帰ってくる。それを毎日毎日、「またやり直しだろう」と予想されるドリルに取り組み、予想通り×で帰ってくる。

それを1年生の時から延々と繰り返してきたんだな。

 

どんなに重い気持ちになっていたかと、×のショックを味わって初めてようやく思い到ったのでした。

 

 

「ダメ出し君」が三女にも育ちはじめている

 

以前の記事で、常に自分を否定する「ダメ出し君」のことを書きました。

あの「ダメ出し君」が三女の中に育ちつつありました。

 

通級に通うことが決まったものの、三女が学校に行きたがらないのは「ダメ出し」をたくさん受けてしまうから。

紙ベースで学んで、紙ベースで回答することができない。

それしか方法が無ければ「ダメな子」として扱われ、「自分はダメな人間」と思って生きることになってしまう。

 

それは苦しいわ。

3年生になって、介入の多い先生が担任になると「学校行かないで家で勉強したい」と言うようになりました。ま、当然ですね。

 

 

合理的配慮の不安定さ


三女の場合、2年生の時の先生は「黒板なんて、私が写真撮ってメールで送れば十分だと思います。」と言ってくれる先生でした。

書く量が少ないから、タブレットの持ち込みや黒板の撮影は結局しませんでしたが、理解のある先生でした。

 

だけど理解のある先生に当たるって、かなりラッキーなんじゃないかと思います。だから次の先生がどう考えるかはわからないし、毎年の保証は無いんですよね。

 

実際、進級してからはそういった配慮を受けていなかったようで、ノートの取り方も宿題の量も他の子と変わらず、できなかった所を休み時間にやるという状態。

前任の先生が申し送りをしていてくれたにも関わらず、です。

先生によって、こうした配慮にも違いが出てきてしまいます。

 

 

合理的配慮と「ズルい」の壁


書字障害がわかった、配慮もある、バンザイ、にならない
二年生の時は、授業中もボリュームを減らしてもらったり、先生が手を貸したり、いろいろ配慮をしてもらいました。

そうすると時々「あの子だけズルい」と言う子がいるそうで、先生が「じゃあ、あなたも減らす?」と聞くとそれ以上何も言わなくなるんだとか。

 

その対応自体は「なるほど」と勉強になり、私も使うようになったのですが、

普段から自分だけボリュームを減らしてもらい、周りからズルいと言われ、それでも課題をこなすのが難しい、という状況です。

三女はどんな気持ちで登校していたのか、不登校になってから思い返しました。

 

どんな環境がベストなのか、試行錯誤ですが、一番は気持ちの回復を最優先にしたいなと思っています。