Educational Buffet!

学びをえらぶ 自分で決める 環境をデザインする 家庭ベースの教育ブッフェ

うちの教育ブッフェ Educational buffet どうする?スケジュール管理

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「ようこそ教育ブッフェへ!Welcome to our educational buffet!」で書いたように、我が家では、学校・フリースクール・家庭・習い事など、様々な社会資源を組み合わせて、子ども自身が選ぶ形をとっています。

って、きれいな感じで言ってますが、実際はしっちゃかめっちゃかです!

 

学ぶ環境を子ども自身が選んで組み合わせる(しかもその都度)って、ご想像いただけると思いますが、親にとっては煩雑な手続きが日常的に続くし、

急な予定変更で頭を下げることも多い、すっごく面倒なやり方なんですよね。

 

しかも三人同時にやった日にはもう、わけがわかりません。

 

もし誰かの予定が変わると、三人それぞれの動きに影響するので、スケジュールを組みなおす必要が出てきます。すっごく煩雑です。

ホント途中で脱落します。

 

 

三姉妹ご希望のスケジュール

 

昨日のご希望はこちら

〇長女が体調不良で、「給食から登校する」と言って寝てしまった。お昼に学校まで送る。

〇次女は「久しぶりに適応指導教室に行きたい」と言い出した。11:00に行って12:00に帰るって。

〇次女、適応指導教室は久しぶりなので、私も同行して申し込みをする必要がある。

〇三女について、前日に「側彎症の検査があるので、明日の午前中に学校に来てください」と先生に言われていた。

〇三女は給食だけ登校する。保健室で食べるから、大人が給食を運ぶ必要がある。12:15に学校へ行き、私が給食を運び、一度帰って12:55に迎えに行く。

〇三女は13:30からピアノ。

〇三女、日曜日に足の痛みで救急外来を受けたので、再診察に病院へ行く。

 

その都度、スケジュールを組みなおし、そして忘れ、謝るループ

微妙に時間がずれていて、それぞれのスキマ時間が実に中途半端。これが困る。

 

午前中は自分の仕事を少しでも進めたい、だけど三人それぞれの対応も必要、仕事が終わらない!というストレスの中、割り切って仕事に集中することにしました。大事だよね、それも。

で、結果、「側彎症の検査」と「ピアノ」をすっかり忘れてしまいました・・・。

「側彎症の検査」は、次の日にもっと遠くまで行く事になってしまった。

 

学校の先生には「ごめんなさい~」と謝った。

ピアノに至っては、先週も病院か何かですっかり忘れてたから、本当にもう平謝り。

週末に行く予定だったフリースクールも、突然次女が「学校行こうかな」と言い出したので行かず、だけど連絡をし忘れていて、これも本当にもう平謝り。

 

 

ゆとりがあれば、大変さも楽しめる、かもね。

 

元気な時はそんなバタバタも楽しめるんですが、疲れがたまっていたのかな。

 

帰った後、「今日のご飯はなに?」というちょっとした質問に、すごく腹を立ててしまいました。

「作る時間がどこにあったんだ!聞いて文句ばかり言ってないで手伝え!」ってなりました。

 

こんなこと、言ってる自分も嫌な気持ちになる事だし、もっと怒ってしまいそう。ここは無理せず、その場を離れました。

すまない・・・。

 

ガマンして爆発させずに、日ごろから困っていることを子ども達にも相談しないとね

 

今年(2018年)の連日の猛暑に疲れていたのか、この時はひたすらイライラ&モヤモヤしていました。怒った直後は一人になりたくて部屋にこもっていました。

そうしたら子ども達がチャーハンを作って差し入れてくれました。びっくりするほど美味しいチャーハン。

 

勝手にため込んで、突然怒りを爆発させるって良くないな、と反省するまでに時間がかかりました。

普段から子ども達にも困っていることを伝えて、一緒に考えてもらおう。

謝ったあとで子ども達に伝えて、「送り迎えが必要な活動を、どんどん変更されて困っている。」という事を伝えました。そして、週末に話しをして、2学期からどう解決するか相談しよう、という事に。

 

いろいろ話しているうちに、私には心配事がいくつか重なっていている事に改めて気づきました。

経済的なこと、子ども達が「性」を負わされていくこと、それを良しとする大人が多く存在すること。

それらも含めて共有していかないと、長くは成り立たないなと思いました。

「大人が完璧な環境を子どもに提供する」をいう考えで四苦八苦していたんだな。それ自体が上下関係を前提にした、子どもの主体性を奪う考えだと、以前に思っていたはずなのに。

 

まだまだ修行は続くのでした。