長女の通知表 私の通知表
我が家では、学校・フリースクール・家庭・習い事など、様々な社会資源を組み合わせて、子ども自身が選ぶ形をとっています。
長女は1年間のホームスクーリングと3ヶ月のホームステイ体験のあと、2年生になったこの4月からは学校に通い始めました。
毎日楽しそうで、クラスでも男女を問わずいろんな子と話しているようです。
そして終業式。
ときどき休みつつも、無事に1学期を終えることができ、はじめて普通の通知表を受け取ることになりました。
そこでいろいろ、ひと悶着がありまして・・・
- 通知表なんて関係ないし、受け取る必要もないよね、って言ってたワタシ
- 通知表の目的ってなんだろう?
- できる姿を見て、良い高校に進めるかも?!という欲が出てしまった
- 「3」を一緒に喜んで欲しかったのに
- 通知表を見て冷静さを失った自分を見て、学校の考え方が染みついていることを改めて実感させられる
- 通知表 やっぱり受け取り拒否にしようかな
通知表なんて関係ないし、受け取る必要もないよね、って言ってたワタシ
「ホームスクーリングで自分で勉強できているから、自分のペースで勉強できる通信高校が合ってるよね」
長女とは、そんな風に話していました。
学校への通学が無ければ、自由にホームステイもできるし、興味のある業種でインターンさせてもらう事も、旅行だってイベント企画だってできる。
実際にホームスクーリングをした体験から、
「通学することで、時間と場所を拘束されるデメリット」
「通学しないことで得られる、自由に動けるというメリット」
を実感し、通信高校の魅力をひしひしと感じていました。
それに、普通科の高校に行くために、中学校の3年間を「内申点」を意識して学ぶなんて本当にデメリットが大きすぎる。学びの楽しさを、競争意識(劣等感と優越感の快楽スイッチON OFF)に変えてしまう。
だから通信制に進むことで、内申点の拘束から自由になってほしいと思いました。中学校の間はホームスクーリングでも学校でもその都度選び、評価を気にしない自由な学びをしてもらいたい。
小学校で道徳の評価が始まったこともあり、評価される事の意味に疑問を持つようにもなっていました。
そして「通知表は受け取らないとこにしようか?」と考えるように。(学校には言い忘れていたけど)
通知表の目的ってなんだろう?
だって、生徒の「できる」「できない」って、それは先生達自身が、自分の取り組みに対して得られたフィードバックじゃないのかな?その情報は、先生が今後の取り組みに活かしていけば良いんじゃないのかな?
理解度はテストで測れているんだし、何で評価を通知するんでしょうかね。アドバイスするわけでもなく。
「〇〇さんは数学のココができないな。授業の進め方を工夫してみよう。〇〇さんにも、このような働きかけをして、次回の結果を見てみよう。」って、自分の仕事に利用すれば良くないですか?
できない事への分析もアドバイスも無く、ただ「あなたはこれができません」って一方的に通知することに何の効果があるのか、本当にわからない。
「通知表なんて読む必要ないからね。」とさえ言っていた私でした。が・・・!
できる姿を見て、良い高校に進めるかも?!という欲が出てしまった
もともと素直に学校の授業を受ける長女は、小学校の時から成績は良かったほうです。いわゆるお勉強でも、さほど苦も無くやっていけるタイプ。
ホームスクーリングをしている時もZ会をコツコツ続けて、学校の試験だけは受けに行って、上から20%ぐらいの点数は取っていました。
結果を見て、自主学習でこれだけできるんだから、大学進学を希望している場合でも通学にこだわる必要はないなと思いました。
ところが、2年生になって学校に行きはじめると、クラスではすごく楽しそうだし、先生とも仲良くなってるし、疲れる行事や集会は無理せずにいるし、とにかくキラキラな学校生活を送りはじめたんです。
これは本当に先生とクラスメイトのおかげ。安心して過ごせる環境だからこそです。
学力テストについては、今回は全く一人で試験勉強していました。
学校から帰ると黙々と勉強する。初めての「授業を受けたあとの学力テスト」なので、「自分の実力が知りたい」という気持ちがあったみたいです。
結果、5教科では10%以内、9教科全体だと15%ぐらいのあたりの点数になりました。勉強が楽しいと言っていたけど、本当に勉強が好きなんだなぁ。
で、三者面談でも「問題ないですね」という話になったんですが、その時に先生が見学すると良い学校をいくつかあげてくれました。それぞれ、私でさえ知っている学校名です。
学力の高い公立高校って、いろいろ優遇されているんですよね。税金も投入される。教育資源が集まりやすい環境で、いろんなチャンスにアクセスしやすくなる。
「それもいいな」
と、正直思いました。
だけど選ぶのは本人だから、いろんな可能性を探ってみようと、夏休みは通信高校や普通高校の見学に積極的に行くことにしました。
この時点で、私の感覚は以前の「学校的な考え」に戻りつつあったのかもしれません。良い学校に行けば行政から資金投入してもらえるぜ、そのためには内申も大事だぜ、って心のどこかで。
なんせ、上位〇〇%以内って考えがすでに、相対評価で子どもを見てるわけだし。怖いな・・・。
「3」を一緒に喜んで欲しかったのに
終業式の日の夜、長女が通知表を見せてくれました。今思いだすと、ここからやり直したい。
通知表を見ると、いくつか「5」が入っていました。おお。
さらに見ると5教科のうち、4教科が「5」です。それ以外は全て「3」。
実技は休んだり見学したりが多かったから仕方ないとして、5教科のうち唯一「3」がついた教科に疑問を持ってしまったんですよね。
疑問というのは「うちの子がなぜ?」じゃなくて、事情があって欠席した子が学び直す体制を作らずに、提出物を出したくてもできない状況のまま、評価をつけることへの疑問です。
さぼっているわけじゃなく、病気で欠席した子どもをフォローせずに、一律のルールを適応して「出席できなかった」ことが原因で評価を低くつける。
もともとマウンティング根性がちらつく先生がやっている事なので、「教育的な考えからじゃなくて、子どもにオレ様ルールを守らせることで自己肯定感を満たしたいだけでしょ!」って思ってしまったんですよね。
他の5教科は、「関心・意欲・態度」をはじめとした評価がほとんど「A」だったのに、その教科だけはテストの点数以外の項目が全て「C」。
だけど、他の5教科がほとんど「A」の評価をもらっているのに、1つだけ「C」の態度なんて考えられないんですよね。
長女もすごく楽しんで授業を受けていたし、真剣に取り組んでいた。
そして、テストだけは点数ではっきり出ているから「A」を付ける以外になかった。だから「C」「C」「C」「A」で、「3」になったわけです。
先生はきっと理論武装して、いつクレームが来ても「提出物の提出率や内容などできちんとポイント換算しています」ってデータで開示できるようにしているでしょう。
だけど私が問題にしているのは、そのポイント換算のルールが適切ですか?いろいろな事情を持った子ども達が、「学びたい」という意思を持ちながらも、休んだことを取り戻せない体制のままで行う評価が正当なものですか?ということ。
長女だけの問題じゃなくて、子ども達の学ぶ環境がそれでいいんですか?という気持ちからの疑問だったんです。
だけど、それを長女の前で「この評価はおかしい」と言ったもんだから、「3」を喜んでいた長女をすごくがっかりさせてしまったんですよね。
うう、大失敗!
だって長女は本当に「3」を喜んでいたんです。休んだから「C」は当たり前で、「2」になってもおかしくない。なのにテストで点数がとれたから「3」になれた!嬉しい!と。
この喜びを一緒に共有したかったんです。そりゃあガッカリしたよね。
「あなたはもっと評価されて良いと思うし、評価の体制に疑問を持った。それでつい「3」を喜んであげられなかったんだ。」と伝えても、静かな怒りのオーラは消えませんでした。
そして悪いことに「次は評価を取れるように、休まないようにする」って言いだしました。
それをやり始めたら、他人の評価を得るために身を切り売りする人生を、延々と続けることになるんだゼ!
こうやって、たくさんの子ども達が「他人の評価を得るための人生」を選ぶようになるのかと思うと、本当にいい加減にしてくれ!と思いました。
通知表を見て冷静さを失った自分を見て、学校の考え方が染みついていることを改めて実感させられる
やっぱり長女の進路に欲を持ったから「通知表へのこだわり」を持ってしまったんだと思います。
そして、やっぱり「他人の評価を得るために身を切り売りする人生」が普通で良い人生だと思ってきた時間が長く、評価が前面に出る通知表を冷静に見れないものだな、とも思いました。
多分、私はこの考えが抜けることは無い。
ただ、それを自覚してその都度修正しつづける努力をするだけです。
通知表 やっぱり受け取り拒否にしようかな
〇余計な介入を招く
〇学びそのものの楽しみが阻害される
数字の評価はもらわずに、生活面での先生のコメントだけもらうことにしようかな。
先生にも「精神的なプレッシャーが悪影響になりそうなので」と伝えて、相談してみようかな。
長女にも話して、通知表のメリット・デメリット(受験に向けて早めに対処できる・だけど評価のための勉強になると楽しくなくなる)を説明して、どうしたいかを聞いてみようかと思います。
はー・・・他人の評価って、本当に役に立たないな。