図工の先生とつながろう!
昨日の記事「教科の先生とつながろう!」
続きで、今日は図工の先生についてお話します。
きっかけは長女から
起立性調節障害で5年生から登校できなくなった長女。
起立性調節障害を通して、親子関係を見直した話①はじまり - Educational Buffet!
週一でスクールカウンセラーの先生を訪ねて、ゆっくり遊ぶ時間を作っていたんですが、
何か楽しんでできる取り組みは無いか、カウンセラーの先生が図工の先生に相談してくれました。
その時、図工の先生がとても喜んで取り組んでくれたんですよね。嬉しかったなー。
家でも続きができるように、詳しい手順をイラストで書いてくれました。
その後、長女は回復して六年生で学校に戻りました。そして委員会では、その時の図工の先生が担当でした。
長女が元気に図工の先生とやりとりしている姿は、感慨深いものがありました。
そして次女も
次女もきっかけがあって起立性調節障害になり、しばらく学校を離れているうちに場面緘黙症にもなっていました。
場面緘黙症は、家庭では普通に話せるのに、学校など特定の環境に置かれると話すことができなくなる症状を言います。
次女も、周りから話しかけられても目を合わせない、返事をしない。
ところが家に帰ると「あの時返事したかったけど黙っていた」と言い、家では人が変わったように明るくおしゃべりしていました。
場面緘黙症は、脳内で危険信号が敏感に反応し過ぎてしまっているのが原因のようです。
この特性そのものは、人類が生き残る上でとても重要なことだと思うんですが、学校内ではマイナスに作用しがちで本人が辛くなってしまうんですよね。
大切なのは、スモールステップで、小さな成功体験を積み重ねていくことだそうです。
「これぐらいなら大丈夫」というエリアを少しずつ広げていきます。
一進一退の作業。大人は決して失望せず、焦らず、結果を求めず、きっかけを作り続ける。
担任が実力のある先生だったので、このあたり非常に助けられました。放課後、週に3回程度、図工室で一緒に工作をしてくれたんです。
その時にもまた、同じ図工の先生が一緒に活動してくれました。
図工の心地よい距離感
図工って自分の作業に集中するから、一緒にいる人との距離感がちょうど良いんですよね。
向かい合う関係じゃなくて、それぞれの向きがあって、お互いに気配を感じあう関係。
場面緘黙症のスモールステップとしても、図工からスタートしたのは良かったと思います。
その後、次女は給食を保健室で食べるようになり、少しずつクラスにつながっていきました。
さらに三女も
三女は4月から登校を渋るようになり、今は給食だけ登校しています。
また、書字障害の支援として、週に一度だけ通級のトレーニングを受けています。
通級と同じ日だから図工の授業もついでに参加したら?と言ったら、クラスに入るのは抵抗があるようで、別室で図工をやってもらえることになりました。
まさかの三人目!す、すみません先生。
私が見守りに入って、先生が時々様子を見に来てくれます。
三女のパワポ作品。byパンダ
前回の別室図工では、木材をひたすらノコギリで切りました。
時々図工の先生が様子を見てくれます。
先生はアドバイザーに徹して声かけをしてくれるので、意地っ張りな三女でもスッと言葉が入っていくようです。
図工は全感覚を使った全身運動
図工というと「画用紙にお絵かき」のイメージで、基本的には言われた通りに作品を作るだけだと思っていました。
だけど最近、三女の付き添いで図工室を見る機会が増え、ちょっと気づいたことがありました。
ある日の図工室では、子ども達が部屋中にヒモを張り巡らして、そこに新聞紙を自由にかけて空間を作っていました。
また別の日には、木材をひたすらノコギリで切っていく、という活動をしていました。
ヒモに新聞紙をかけたり、ビリビリ破いたり、ねじったり・・・そうやって手触りや臭いや音を感じながら、体を使って作業をしていきます。
全感覚を使っています。
ノコギリでひたすら切るなんて、全身運動です。体育では使わない筋肉、体の使い方をしています。
図工って、子どもの育ちを総合的に考えて授業の組み立てをしているんだな、と知りました。
アートに対する考えも変わってきますね。
完成品が目的じゃない、作る過程そのもの、一緒に場を共有して体感するというアートもあるんだな。
そうやって磨かれた全身の感覚や感性が、子ども達の育ちの土台になるのかもしれない。
そういった部分だけでも、図工の先生から得られるヒントは多いかもしれません。
もちろん先生がどれぐらい関われるかは、学校や先生のおかれた状況によって変わります。
先生が忙しい場合は、小さなアイデアをもらったり家での取り組みを伝えてみたり、お互いに無理のない関りを持つと、子どもとの活動に広がりがでてくるかもしれません。
佐藤忠良さんの言葉
図工の先生と話している中で、たまたま同じ彫刻家のファンだということがわかりました。
佐藤忠良さんという彫刻家で、「大きなかぶ」の挿絵でも有名です。
図工の先生が、長女が卒業する時に「図工だより」で紹介していた佐藤忠良さんの言葉があります。
もともとは佐藤忠良さんが中学生に向けたメッセージだそうで、だからこそ小学校を卒業していく子ども達に向けて、先生がぜひ読んでもらいたかったんだと思います。
とても印象的だったので、最後にここでご紹介して終わりたいと思います。
美術を学ぶ人へ 佐藤忠良
美術を学ぶ前に、私が日ごろ思っていることを、みなさんにお話します。
というのは、みなさんは、自分のすることの意味 なぜ美術を学ぶのかという意味を、きっと知りたがっているだろうと思うからです。
(中略)
私たちの生活は、事実を知るだけでは成り立ちません。好きだとかきらいだとか、美しいとかみにくいとか、ものに対して感ずる心があります。これは、だれもが同じに感ずるものではありません。
しかし、こういった感ずる心は、人間が生きていくのにとても大切なものです。だれもが認める知識と同じに、どうしても必要なものです。詩や音楽や美術や演劇 芸術は、こうした心が生みだしたものだと言えましょう。
この芸術というものは、科学技術とちがって、環境を変えることはできないものです。しかし、その環境に対する心を変えることはできるのです。
詩や絵に感動した心は、環境にふりまわされるのではなく、自主的に環境に対面できるようになるのです。
ものを変えることのできないものなど、役に立たないむだなものだと思っている人もいるでしょう。
ところが、この直接役に立たないものが、心のビタミンのようなもので、しらずしらずのうちに、私たちの心のなかで蓄積されて、感ずる心を育てるのです。
人間が生きるためには、知ることが大切です。同じように、感ずることが大事です。
私は、みなさんの一人一人に、ほんとうの喜び、悲しみ、怒りがどんなものかがわかる人間になってもらいたいのです。
美術をしんけんに学んでください。しんけんに学ばないと、感ずる心は育たないのです。
「少年の美術」株式会社 現代美術社1981年(昭和56年)発行