ようこそ教育ブッフェへ!Welcome to our educational buffet!
我が家では、学校・フリースクール・通信教育・家庭・習い事・公共施設など、様々な社会資源を組み合わせて、子ども自身が「学ぶ場」「学び方」を選んでいます。
「教育ブッフェ Educational buffet」で、自分の生活に好きな学びをちょっとずつ。
それが娘達には合っているみたいです。
- 教育ブッフェ Educational buffet までの長い長い模索の時間
- 「積極的に学校外の学びを選ぶ」という発想を知る
- 積極的なホームスクーリングを選ぶこともできる
- ようこそ教育ブッフェへ
- 「自分で決める」を大切にしたら、ブッフェスタイルになった
- mustの学習をどこで線引きするか、悩みどころ
- 子ども達の「愛着」を家庭の外にも広げる
- 幻の宝を探して、豊作のブドウを手に入れた
- 自分の努力が意図しない形で実る
教育ブッフェ Educational buffet までの長い長い模索の時間
私は積極的にホームスクーリングを選んだわけでもなく、かと言って学校教育を全面的に信頼するでもない、ブレずにブレ続けるイチ保護者です。
長女が体調を崩すまで、なーんにも考えてなかった。
学校に行けなくなってからは、ひたすらあちこちに相談をし、書籍を読み、居場所になりそうなところを訪問し、ジタバタし続けていました。
一つが解決すると、また別の問題が起こる。子どもたちがお互いに影響しあって、連鎖的に困りごとが起こる。
とにかく一刻も早く楽になりたい!
魔法のような解決法を探して徒労に終わる、の繰り返しだったと思います。
「積極的に学校外の学びを選ぶ」という発想を知る
子どもが「自分で決める」ことを奪ってはいけないと気づき(こちらの記事)
その後、たまたま手にしたサドベリーバレー校の本「世界一素敵な学校―サドベリー・バレー物語」を読みました。
そしてサドベリーバレー校の実践からはじめて「子どもが自ら学ぶ、大人は環境だけ整える」という発想を知りました。
NHKのサドベリーバレー校を紹介する番組。
サドベリーバレー校以外にも、オランダのイエナプランやその他にもいろいろな実践があることを知り、不登校対応の疲弊した毎日は、実はとってもクリエイティブな時間だったと気づきました。
まぁ、疲れるのは変わりませんが。
積極的なホームスクーリングを選ぶこともできる
テレビやネットで素敵なホームスクーリング家庭の様子を見聞きする機会が増えました。
先日は、アメリカの絵本作家ターシャ・テューダーのひ孫さんが、あの庭や森でホームスクーリングしている番組を見てうっとり。
またべつの番組では、アメリカ人の一家が30平米ぐらいの移動式ハウスを注文して、家ごと旅をしながらホームスクーリングしていました。こちらも素敵。
こんな環境でホームスクーリングをできたら、子供たちはどんなにのびのびと成長できるだろう。
こうして、子ども達に「学校に行けないんじゃなくて、行かない、ホームスクーリングを選ぶということもできるからね」と、選択肢を伝えることができるようになりました。
子ども達はワクワクしているような表情で「ホームスクーリングがいい!」と言って日々を楽しみだしました。
ようこそ教育ブッフェへ
「自分で決める」を大切にしたら、ブッフェスタイルになった
これまで、「親が良い教育を選んで、子どもに与える」という発想を持って、価値のある素晴らしい教育方法を探していたんだと思います。
その発想に疑問を持ち始めるきっかけになりました。
「与える」という、それ自体が上下関係の現れなのかもしれない。
そもそも素晴らしい教育が何なのか、子どもとの相性がどうなのかわからない。
そして今は「いくつかの選択肢を子ども達がその都度自分で選ぶ」という、スタイルで落ち着いています。ブッフェスタイルです。
長女は今年は学校を楽しんでいますが、授業中にふっと「やっぱりホームスクーリングもいいかも」と思う瞬間があるそうです。
次女は自分のペースがはっきりしているので、短い時間でも登校していたのを「やっぱりホームスクーリングで自分のペースで勉強したい。給食止めて」と言い出しました。
おばあちゃん宅やフリースクールなど、家庭外の居場所でも過ごしています。
三女は最近不登校を続けていましたが、今日は社会科見学だったのでいきなりバスに乗って参加してきました。
「毎日は無理だけど学校楽しみ~」と言っています。
mustの学習をどこで線引きするか、悩みどころ
お姉ちゃん達は学校ベースの学習に慣れているのもあって、普通の通信教育を楽にこなせました。だから短時間で勉強を終わらせて、あとは自由時間というスタイルで過ごせました。
三女に関しては、学習障害との兼ね合いの中で、「最低限をどこで設定するか」まだまだ悩みながら試行錯誤です。
子ども達の「愛着」を家庭の外にも広げる
日本でも積極的にホームスクーリングを選択するという動きが広がりつつ・・・あるんだか無いんだかわかりませんが、ちょっとずつ楽に過ごせる環境が整ってきている気がします。
素敵な人たちに出会い、素敵なフリースクールにも出会い、病院や相談室などの頼れる制度は使いたおしています。
子ども達に必要な「愛着」を家庭の外にも広げていく。
そこは大切につなげていきたいと思っています。
幻の宝を探して、豊作のブドウを手に入れた
一つ試してうまく行き始めても、子どもが「やっぱりやめる」と言うと、それまでの努力が一瞬で水の泡です。
体調改善でも学習でも、居場所作りも、習い事も、徒労に終わることが多くて、今度こそ楽になれると期待する分だけ精神的にも辛い。
そうやって無駄な遠回りをたくさんしてきましたが、最近は、この遠回りすることに意味があったのかもしれないなと、思い始めました。
そう感じた時に思いだしたのが、イソップの「3人の息子」の物語でした。
お話は大まかにこんな感じ。
イソップ童話「3人の息子」
農家の父親が体調を崩して、自分の余命は残りわずかだと悟ります。
父親が心配しているのは、怠け者の3人の息子のこと。怠けていては畑は実りません。
そこで父親は死に際に遺言を残します。
「畑の中に宝を埋めた。私が死んだら少しずつ掘って探してみなさい」
父親が死ぬと、息子たちは畑を掘り起こして宝を探しました。けれど最後まで宝は出てきません。
宝を手に入れられなかった3人。しかし、耕された畑にはブドウが豊作となり、大きな利益を得ることができました。
そこで3人の息子は亡くなった父親のメッセージに気付く、というお話です。
自分の努力が意図しない形で実る
私も「魔法のような教育法・完璧な環境」という宝を求めて畑を掘り起こしていたのかもしれません。
無駄なこともいっぱいしましたが、その試行錯誤が私には必要なことだったのかもしれないと思います。